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2004年10月01日

富士山の有人観測が終了

富士山測候所 における72年にわたった有人観測が終了しました。
長い間ご苦労さまでした。

富士山における有人観測は、1895年(明治28年)に 野中到氏 により開始されました。
1932年(昭和7年)から、中央気象台(現:気象庁)による有人観測が開始されました。

1964年(昭和39年)には、富士山レーダー が完成しました。
富士山レーダーは日本の気象観測のシンボルでした。
台風シーズンになると、富士山レーダーの画像が、TVに放映されたものです。

その後、観測の主役は自動観測に代わっていきます。
1974年(昭和49年)に、アメダスが運用開始されました。
1977年(昭和52年)に、気象衛星「ひまわり」 が運用開始されました。

1999年(平成11年)には、富士山レーダーがその役割を終了し、現在は富士吉田市の 富士山レーダードーム館 に展示されています。
富士山レーダーの工事は、難航を極め、新田次郎氏の小説 「富士山頂」 になっています。
昭和45年には、石原裕次郎の主演で 映画化 もされています。
最近では、NHKの プロジェクトX にも取り上げられました。

富士山レーダーは、日本の技術のシンボルでもあります。
2000年(平成12年)には、「歴史に残る優れた電気工学技術」として、IEEEマイルストーン を受賞しています。

富士山における観測は過酷なもので、長い間に4名の殉職者を出しています。
無人の自動観測に代わるのは、歓迎すべきことでしょうが、
1つの時代の終了を告げるようで、寂しい気もします。

朝日新聞 10月1日
気象庁富士山測候所が72年の有人観測の歴史に幕
標高3776メートルの頂にある気象庁富士山測候所の観測が自動化され、残っていた職員4人が1日、下山した。72年にわたる日本一高い有人観測の歴史に幕が閉じた。

特集:富士山頂72年(静岡新聞)

富士山測候所(東京管区気象台)

富士山レーダードーム館

大阪管区気象台
アメダス(地域気象観測システム)とは

宇宙開発事業団
ひまわり(GMS)とは

IEEE(米国電気電子技術者協会)
IEEE Milestones: Mount Fuji Radar

新田次郎「芙蓉の人」
日本の天気予報を正確にするには富士山頂に観測所が必要だ。その信念に燃えて真冬の富士山頂にこもる野中到と命を賭けて夫と行をともにした千代子夫人の行動と心情を感動的に描く。

新田次郎「富士山頂」
富士山頂に気象レーダーを建設するという大事業を軸に、それにまつわる錯綜した動きを追うことによって現代社会のひろがりを捉え、さらに山岳小説の興趣を深め得た長篇小説である。

映画「富士山頂」石原プロ
気象庁測器課長の葛木は台風の被害を少しでも減らすべく、富士山レーダー取り付けに情熱を燃やしていた。三菱電機技術部員・梅原もまた、技術者の立場から富士山レーダーに情熱をかけ、大成建設の伊石と共に山頂の気圧や地盤についても調査していた。

DVD「プロジェクトX 巨大台風から日本を守れ」
日本列島を台風から守るため入札制度を無視して強行された、富士山頂における世界最大の気象レーダー建設への挑戦を描く。

投稿者 ken : 2004年10月01日 23:23

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